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クリーン・ランゲージとシンボリック・モデリング

クリーン・ランゲージを使ったシンボリック・モデリングの面白さを紹介します。

思考がどんな性質を持っているのか をわかっておいてほしいんです

「瞑想」と「クリーン・ランゲージ」の間に何か関係はありますか? 

 

これは良く尋ねられることです。

 

まず瞑想は無思考に向かうことであり、クリーン・ランゲージは思考の領域を、思考を使って探求することです。

 

だから、私は「瞑想への架け橋」として「クリーン・ランゲージ」を使っています。 

 

思考の働きとして、ある問いを投げかけられると、その答えを探しに行く、という性質があります。

 

通常私たちは、その思考を言わば野放し状態にしているので、「今日何するんだっけ?」と言って予定表を見に行くマインドがあるかと思えば、「おなかすいた」と言って冷蔵庫を空けに行くやつもいる。。。収拾がつかないんですね。

 

そこで、何らかのフレーム(枠組み)や方向性をつけてあげると、思考が整理されていく。そこに着目したのがさまざまな言語モデルを使った手法です。

 

中でもクリーン・ランゲージはメタファーを媒体にしているので、通常使っている意識マインドを超えて、無意識マインドに突然ワープすることがあります。

 

するとそこから今まで(目を向けてなかったから)気づけていなかったことなど大切な情報が出現する。

 

するとその人はだんだん自分の内側に目を向けるようになります。

 

瞑想への架け橋というのは、そういうことですね。

 

そして、終わりなき旅ーー真理の世界はそこから始まるのです。

 

www.reservestock.jp

 

 

 

 

 

 

リソースの源(みなもと)

言霊的にはみな(すべて)のもと

 

こういう言葉はひらがな表記すべきですよね。だって、日本人にはそのまま通じるのですから。。。

 

さて、私が教えている「クリーン・ランゲージを使ったシンボリック・モデリング」という技法の中で、この「みなもと」にクライアントの注意を向ける問いがあります。

 

その(リソース)はどこから来たのでしょう?

 

 

ファシリテーターが、クライアントの正しい文脈に沿ってこの問いをするとき、(つまり突拍子もなく尋ねても意味がないということですが)クライアントはしばし遠くを見るようなポーズをして、あるいは目を閉じて、そこにつながろうとします。

 

私はそれを見守る瞬間がとても好きです。

 

なぜなら、そのみなもととは、瞑想者が「私はだれか?」と問うとき、垣間見る場所。

 

どん底に落ちて全くの手放しで天を仰いだときに、心が震え、赦しが降りて来る場所。

 

かのアインシュタインが「光線の旅とはどんなものだろう?」という問いかけをした次の瞬間にたどり着いたであろう場所だからです。

 

身体感覚的には「思考の枠組みが外れる」かのような体験です。

 

これを間違った文脈で尋ねると、単に概念の中で思考がべらべらおしゃべりするだけです。ほら良くあるじゃないですか。

 

知ったかぶりで「大いなる存在がどうしたこうした」とか「今まさに心の静寂が私の周囲を囲んでいて、それがなんちゃらかんちゃらで」って、ふつーに聞いていても「ん?静寂? なんだかうるさそう」みたいなやつ(笑)

 

瞑想者はね、せっかくのその瞬間を味わうことを選びます。

 

その体験の中にただ在る。在る。在り続ける。。。

せっかくのチャンスなんだから、静かにいようよっていうのが瞑想者の立ち位置。

 

それをずっとずっとしゃべりたがるのは巧妙な思考。あるいはだれかさんのエゴ。

 

瞑想者だからこそできるセッションというのがあるな、と気づき始めています。

 

メタファーの次元で起きること

 ええ、それはまさに「起きる」ことなのですが、メタファーやシンボルからエマージ(出現する)情報は、ちょっとした不思議体験だと言えるでしょう。

 

 たとえば「忙しい日々」が何のようか? と問われたとき、「隙間のない時間の連続体のようだ」と答えたとします。

 

 通常はそこで「そんなに忙しくって大丈夫なの?」とか「たまには休んだら?」という提案をしたり、「そんなに一生懸命仕事していたら病気するよ」などと勝手な判断を持ち込んだりします。

 

 クリーン・ランゲージのクリーンな問いは、メタファーの次元で働きかけます。つまりその人が言ったことを文字通りに受け取り、「その隙間のない時間の連続体のとき、あなたは何が起きればいいのか?」と問うのです。

 

 この時、一つは「起きて欲しいこと」の方向に意識が向くということがあります。2つ目に、メタファーとして知覚されている「隙間がない(時間の)連続体」に何かの変化が起こりうるのだろうか? というところに注意が向かうことになるのです。

 

 「隙間がない」という情報は一つ重要な要素ですが、同時に、「時間の連続体」という言葉が「体」という言葉を含んでいるので、何らかの形を示していそうな感じもあります。

 

 私たちクリーン・ファシリテーターは、こんなふうに一つ一つのメタファー的表現をキャッチし、その人がたった今体験しているらしい状況をつかんで、それに沿ってメタファー的な内側の景観を追っていくという作業をします。

 

 「クリーンランゲージ入門」なんて本を読んだだけでは、「クリーン・ランゲージは、ただ問いを投げかけていれば何とかなる」という印象を持たれる方も少なくないようですが、「介入のない手法」と言われるのは実のところ「介入する暇がないほど他にやるべきことがいっぱいある」からでもあります。

 

 そして私なんぞは、ワークの中心に置かれているものが、クライアントでもなく、もちろんファシリテーターでもない、メタファーからの情報であるというユニークな手法に、心から惚れ込んでいるんです。

 

 以前にも書いたのですが、私は物心ついたころからシンボルに異常な興味を持っていました。なので、村上龍氏言うところの「世界はメタファーでできている」という認識を持ってきたのだと思います。

 

 そして、そのような世界観を持つことは<人間らしい認識力>を育てると確信しています。クリーン・ランゲージを手元に置いているのはそんな理由からでもあります。