クリーン・ランゲージとシンボリック・モデリング

クリーン・ランゲージを使ったシンボリック・モデリングの面白さを紹介します。

クリーン・ランゲージのクリーン(汚さない)について

 

クリーン・ランゲージの”クリーン”にはそような意味が含まれていますが、この名付け親はもちろんこの技法の発案者デイヴィッド・グローブです。 

 

だれもが「何だろう?」って首を傾げる。あるいは感覚的に「何か良いこと」「正しいこと」というふうに受け止めがちな、不思議な力を持った言葉です。

 

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私たちはつねに自分の側の前提を持っていて、それに気づいているか、いないかで、人とのコミュニケーションの仕方が変わってきます。

 

では「前提を持つ」のはなぜでしょう? 簡単に言うと、何かの情報がやってきたときに、それは新しいことなので、当然自分自身がわかっている、知っていることと照合して処理することになります。

 

先日「クリーン・ランゲージとはどういう技法か?」という話になったときに、「コーチング技法の一種ですか?」と問われたのですが、その人は「コーチング」という技法をどこかで見聞きし、それなりの知識があるから、それと照らし合わせて、どこが似ていて、どこが違うのか、という説明があると理解しやすいと感じて、このように尋ねられたのだと思います。

 

でも、もしそのような知識が一切ない人だと、「一言で言うとどういうこと?」と尋ねることになるでしょうね?

 

つまり相手の(知識という)情報量の度合いによって、話の流れは変わってくるわけです。

 

ついでに言っておくと、クリーン・ランゲージそのものは、どのようなカテゴリーにも属さない、あるいは「人にセッションを提供するためのさまざまな技法」の持つ要素すべてを含んだ「新しい技法」だと私は捉えています。

 

また、さまざまな技法ーー催眠療法、コーチング、セラピーなどが求めている「クライアントの世界に介入しない形で」「相手に耳を傾け」「本人が向かいたい方向に向かっていく」ことをサポートするために、「変化や気づきが起こり得る土台を作る」ことを技法の中に取り込んだ、という意味で新しいのです。

 

クリーン・ランゲージの学習は、自分がどれほど狭い世界で生きているかに気づかせ、一度も目を向けてこなかった自分自身のリソース(能力)に目覚めさせます。

 

自ずと自分のことが好きになり、そのままの自分を抱きしめてあげたくなる。そのせいでしょうね。私と松田依子の周りで育ってきているクリーン・コミュニティーのメンバーは、いろんなことにチャレンジし、お互いを高め合い、クリーンな交流の中ですごく熱心に練習会にも参加し続けているし、交換セッションも盛んに行われていて、実にほほえましいです。

 

 

先にあげたクリーンの要素の中で、もっとも大切なことは、本人が向かいたい方向にかっていくことをサポートするために、変化や気づきが起こり得る土台を作るということですが、このとき、セッションを提供する側の前提や判断や要約があると、本人が望んでいることを微妙に汚染する可能性があるということに、グローブは気づいたのです。

 

極端な場合は「あなたがどうすればいいか、私は知っている」というスタンスだったりもしますが、それは「人をサポートする」のではなく「自分の自我をサポートする」ことではないのでしょうか?

 

もちろんどんな人も困っている人を助けたいと思うし、何とかがんばってほしいと願う気持になるのは自然なことですね。ただ、本人がどんなふうな内なる物語を持っているのか? そこに本人の注意を向けることこそが、何よりも安全に、正確に、そして無理のない形で、その人自身の変容に向かうことなのだと、私たちクリーン・ファシリテーターは信じるのです。

 

クリーン・ファシリテーター養成ベイシック・パート①②はもうじきスタートします。

 

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思考がどんな性質を持っているのか をわかっておいてほしいんです

「瞑想」と「クリーン・ランゲージ」の間に何か関係はありますか? 

 

これは良く尋ねられることです。

 

まず瞑想は無思考に向かうことであり、クリーン・ランゲージは思考の領域を、思考を使って探求することです。

 

だから、私は「瞑想への架け橋」として「クリーン・ランゲージ」を使っています。 

 

思考の働きとして、ある問いを投げかけられると、その答えを探しに行く、という性質があります。

 

通常私たちは、その思考を言わば野放し状態にしているので、「今日何するんだっけ?」と言って予定表を見に行くマインドがあるかと思えば、「おなかすいた」と言って冷蔵庫を空けに行くやつもいる。。。収拾がつかないんですね。

 

そこで、何らかのフレーム(枠組み)や方向性をつけてあげると、思考が整理されていく。そこに着目したのがさまざまな言語モデルを使った手法です。

 

中でもクリーン・ランゲージはメタファーを媒体にしているので、通常使っている意識マインドを超えて、無意識マインドに突然ワープすることがあります。

 

するとそこから今まで(目を向けてなかったから)気づけていなかったことなど大切な情報が出現する。

 

するとその人はだんだん自分の内側に目を向けるようになります。

 

瞑想への架け橋というのは、そういうことですね。

 

そして、終わりなき旅ーー真理の世界はそこから始まるのです。

 

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リソースの源(みなもと)

言霊的にはみな(すべて)のもと

 

こういう言葉はひらがな表記すべきですよね。だって、日本人にはそのまま通じるのですから。。。

 

さて、私が教えている「クリーン・ランゲージを使ったシンボリック・モデリング」という技法の中で、この「みなもと」にクライアントの注意を向ける問いがあります。

 

その(リソース)はどこから来たのでしょう?

 

 

ファシリテーターが、クライアントの正しい文脈に沿ってこの問いをするとき、(つまり突拍子もなく尋ねても意味がないということですが)クライアントはしばし遠くを見るようなポーズをして、あるいは目を閉じて、そこにつながろうとします。

 

私はそれを見守る瞬間がとても好きです。

 

なぜなら、そのみなもととは、瞑想者が「私はだれか?」と問うとき、垣間見る場所。

 

どん底に落ちて全くの手放しで天を仰いだときに、心が震え、赦しが降りて来る場所。

 

かのアインシュタインが「光線の旅とはどんなものだろう?」という問いかけをした次の瞬間にたどり着いたであろう場所だからです。

 

身体感覚的には「思考の枠組みが外れる」かのような体験です。

 

これを間違った文脈で尋ねると、単に概念の中で思考がべらべらおしゃべりするだけです。ほら良くあるじゃないですか。

 

知ったかぶりで「大いなる存在がどうしたこうした」とか「今まさに心の静寂が私の周囲を囲んでいて、それがなんちゃらかんちゃらで」って、ふつーに聞いていても「ん?静寂? なんだかうるさそう」みたいなやつ(笑)

 

瞑想者はね、せっかくのその瞬間を味わうことを選びます。

 

その体験の中にただ在る。在る。在り続ける。。。

せっかくのチャンスなんだから、静かにいようよっていうのが瞑想者の立ち位置。

 

それをずっとずっとしゃべりたがるのは巧妙な思考。あるいはだれかさんのエゴ。

 

瞑想者だからこそできるセッションというのがあるな、と気づき始めています。