クリーン・ランゲージとシンボリック・モデリング

クリーン・ランゲージを使ったシンボリック・モデリングの面白さを紹介します。

無意識の心は変わり続けることを望んでいる

依存して何が悪い!

 

「そもそも依存して何が悪いんだ? みんなどこか依存し合って生きているんだ。依存するのはちっとも悪いことじゃない。」という話しをずいぶん昔に恋人としたことがあったのを思い出しました。その頃の私は反依存症(あはは、こういうのもあり?)だったので、彼の言葉に反応して、「え? 悪くはないけどキモい」って言ったら、「それオレのこと?」ってベッタリくっつかれちゃったんです。

 

ほんとに奴は依存タイプだった! 四六時中手をつないで歩くし、映画館で映画観てる間もずっと手をつないでいるの〜。疲れるったらありゃしない。でも、そういう男ってずっとくっついているから安心なんです。で、そのうち、こいつは離れていかないって思い込んで、ついないがしろにして、結局フラれちゃったんですけど、反依存症の私としては、「ふん!」ってなもんで、辛さを出せないわけです。

 

そういうのって倍辛いんだけどね。だから今でも、そういう女の子を見ると、よしよししてあげたくなる。甘え上手な女性よりも、クールな“フリの”女の子は、結局のところシャイなんだよね。

 

で、依存にしても反依存にしても、結局のところ、それはブレていることだと思います。自分が確立されてない分、極から極にブレてしまう。冒頭にあげた彼の言葉に対して、「それは依存じゃなくて助け合うことだよ」って、今なら言えるかな。。。

 

でもって、依存したいときは思い切り依存すれば良いけど、そのためにゲームしたり、何かの取引するのはちょっとね。そうじゃなくて、堂々と依存するなら、私は大賛成かも。私の反依存も、堂々とそういう態度できちまったせいで、選択の余地なく自立の方向に押しやられたわけで、そこは利点だったのかもしれません。

 

関係性の中の依存

 

ところで、関係性の中の依存てどういうことなんだろうって、改めて考えてみました。

 

まず、仲睦まじくずっといっしょにいるカップル。これって依存し合っていると思いますか? 私は単に助け合っているというふうに受け取ります。依存があると、いつも喧嘩になるか、嘘のかたまりみたいな関係になるかなので、仲睦まじくとはいかないはずです。

 

じゃあ、いつもいつもいっしょにいないと気が済まない人たちは? そうですね、それって依存でしょうね。ほら、遊びに行く話しになっても、すぐ「(パートナーに)聞いてみないと」って言う人。自分で決めれないのかなあ? 中にはパートナーがいても、自分で決めてから相手に報告する人もいるわけだし、自立していればその選択に責任持てると思うのですが。。。ただし、パートナーシップというのはいろいろ細かいことが絡んでくるものです。何が依存で何がそうじゃないかというのは、そんなに簡単に線引きはできないでしょうね。

 

ただ、私は人に頼る、あるいは手助けを求めることと依存することとは微妙に違う気がします。依存は、書いて字のごとく、存在することを他者や依存の対象物に預けてしまっていることです。反対に、人に頼ったり、手助けを求めることがあっても、自分自身の立ち位置がしっかりしている限り、それは依存にはなりません。

 

無意識の心は変わり続けることを望んでいる

 

私たちの無意識の心は、変わり続けること、成長し続けることを望んでいます。人間として生まれた以上、一歩ずつでも成長しないわけにはいかない。それに、生きとし生けるすべてのものはつねに変化しています。夜が来て、また朝が来ても、一つとして同じ朝を迎えることはないのです。

 

そんな<生>を生きていくには、結局のところ自分の足で立っていくしかないじゃないですか。誰かに預けてしまう人生なんて、ほんとうの<生>じゃない。第一、こんなにすばらしい旅を自分で進まないなんて!!

 

そういえば、私が大好きなエリクソンの話しを思い出しましたが、明日に取っておきますね。なぜなら、私はもう十分にしゃべりすぎたから。。。

 

クリーン・ランゲージとシンボリック・モデリング

 

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