クリーン・ランゲージとシンボリック・モデリング

クリーン・ランゲージを使ったシンボリック・モデリングの面白さを紹介します。

リソースの源(みなもと)

言霊的にはみな(すべて)のもと

 

こういう言葉はひらがな表記すべきですよね。だって、日本人にはそのまま通じるのですから。。。

 

さて、私が教えている「クリーン・ランゲージを使ったシンボリック・モデリング」という技法の中で、この「みなもと」にクライアントの注意を向ける問いがあります。

 

その(リソース)はどこから来たのでしょう?

 

 

ファシリテーターが、クライアントの正しい文脈に沿ってこの問いをするとき、(つまり突拍子もなく尋ねても意味がないということですが)クライアントはしばし遠くを見るようなポーズをして、あるいは目を閉じて、そこにつながろうとします。

 

私はそれを見守る瞬間がとても好きです。

 

なぜなら、そのみなもととは、瞑想者が「私はだれか?」と問うとき、垣間見る場所。

 

どん底に落ちて全くの手放しで天を仰いだときに、心が震え、赦しが降りて来る場所。

 

かのアインシュタインが「光線の旅とはどんなものだろう?」という問いかけをした次の瞬間にたどり着いたであろう場所だからです。

 

身体感覚的には「思考の枠組みが外れる」かのような体験です。

 

これを間違った文脈で尋ねると、単に概念の中で思考がべらべらおしゃべりするだけです。ほら良くあるじゃないですか。

 

知ったかぶりで「大いなる存在がどうしたこうした」とか「今まさに心の静寂が私の周囲を囲んでいて、それがなんちゃらかんちゃらで」って、ふつーに聞いていても「ん?静寂? なんだかうるさそう」みたいなやつ(笑)

 

瞑想者はね、せっかくのその瞬間を味わうことを選びます。

 

その体験の中にただ在る。在る。在り続ける。。。

せっかくのチャンスなんだから、静かにいようよっていうのが瞑想者の立ち位置。

 

それをずっとずっとしゃべりたがるのは巧妙な思考。あるいはだれかさんのエゴ。

 

瞑想者だからこそできるセッションというのがあるな、と気づき始めています。